様々な場所で桜が咲き始めましたね(*^-^*)
本日ご紹介するのは惣門番所跡と願掛橋と土橋です!
どこにあるの?
福山市胡町にあります。
私は惣門番所跡のすぐ近くのスーパードラッグひまわり胡町店の売り切りセールへ行った際に立ち寄りました。
他には広場銀行胡町支店も近いですね。
惣門跡・願掛橋
青い空と桜のピンクにコブシの城、そして朱色の橋!
とても綺麗でしょう?
吉津川(蓮池川)に太鼓橋が架かっていて、とてもフォトジェニックな場所です(´▽`*)
この日も何人もの方が写真を撮りに来られていました。
しかしここはただのフォトスポットでは無いのです!
そうここは惣門番所跡、史跡なんです。
元和8年(1622年)に福山城が完成すると、吉津川は福山城下の北の外堀的な役割、つまり防備線の役目を果たしていたそう。
江戸時代に城下から北方への唯一の出入り口が後程紹介する土橋で、橋の南詰には陸路における城下への物資や人の出入りを監視するため惣門を設置し、番所が置かれたとのこと。
つまりここが惣門番所跡なんですね。
現在は住宅街の中に突然橋!?という感じですが、江戸時代には大事な役目がある場所で、人や物の出入りがあった場所だなんて・・・全く知りませんでした。
橋の名前は願掛橋。
そして願掛け橋のすぐ傍に架かる橋がもう一つ↓それが土橋です。
土橋
願掛橋のすぐ傍。
同じく吉津川(蓮池川)に架かる橋。
この橋が土橋です。
先ほども述べたように江戸時代城下から北方への唯一の出入り口が土橋でした。
昔の写真が近くの看板に載っていました。
少し見づらいのですが大正初期の土橋はこんな感じだったんですって↓
すぐ脇に見える線路は福山駅から備後府中駅を結ぶ旧両備鉄道。
昔は川幅も今より広かったようですね。
そんな歴史ある土橋。
実は福山空襲遺跡でもあります。
1945年8月8日、福山空襲により倒れた民家が橋の石柱を直撃。
火と熱風による被害を受け、破損したままの状態で現在に至っているそう。
よく見るとこの写真でもわかるかな?
たしかに石柱部分は破損しています。
そして石柱の上にある緑色の部分、蝋燭などを入れて火を灯す鉄製の入れ物で火袋といいます。
こちらは戦後に復元され設置されました。
なぜなら1941年に金属類回収令のために政府に半強制的に回収されていたそうです。
感想
惣門跡も土橋も歴史に触れることができる大切な場であることがわかりました。
時が流れ時代が変わり、忘れてはいけない歴史はありますが、みんなが幸せそうに土橋の上から桜と願掛橋の写真を撮っているって幸せなことだと思います。
福山城主であり町づくりも行った水野勝成公も、令和になって外国の方までが惣門跡で写真を撮っているなんて想像も出来なかったでしょうね(*´▽`*)
桜はまだ満開ではありませんでしたので、是非皆さんも見に行ってみてください☆
情報
場所:〒720-0072 広島県福山市吉津町7−1