福山市の観光スポットといえば鞆の浦。
小さい頃から何度も行ったことがありますが、大人になった今、鞆の浦を訪れるとその美しさに驚かされます。
先日本当に久しぶりに鞆の浦を散策してきたので、ご紹介します。
どこにあるの?
広島県福山市にあります。
福山駅から南へ14kmの場所です。
車だと福山駅の辺りから30分程の距離。
福山駅からバスも出ていて、トモテツバスで30分。
片道580円です(2025年5月現在)。
駐車場
鞆の浦へ車で行った場合、車はどこに停めればよいのか?
いくつか駐車場をご紹介します。
↑これは後程ご紹介する鞆の浦観光情報センターに表示されていたものです。
※2025年5月現在の情報です。
まずは鞆の浦歴史民俗資料館下の福山市鞆の浦駐車場。
22時~8時→2時間毎100円
第1第2駐車場に比べると料金が安いですし、鞆の浦のシンボルである常夜燈にも近い場所です。
ただし、一方通行の場所にあるためご注意くださいね(*^▽^*)
そしてこちらは福山市鞆の浦第2駐車場↓
17時~8時→1時間毎200円
夜間最大料金→2000円
写真がありませんが、同じ通り沿いに福山市鞆の浦第1駐車場があります。
仙酔島へ行かれる方はこちらが便利なようです。
料金は上記の第2駐車場と同じです。
そしてこちらも同じ通り沿いにあるTSパーキング。
土日祝8時~17時→最初の40分200円、以後20分100円
夜間17時~8時→60分100円
夜間最大料金330円
ここも平日はお安目ですね(^^♪
ホテル鴎風亭のすぐ横、福山市鞆町鍛冶駐車場↓
なんと2階建て!
22時~8時→1時間毎100円
常夜燈方面に向かうには少し距離がありますが、綺麗な海を見ながら歩くならそこまで気になる距離でもないです。
徒歩15分くらいですね。
鞆の浦観光情報センター
どこを見るべきか、何があるのか、わからないことがあれば鞆の浦観光情報センターで教えてもらえます。
様々な地図も置いてあります。
中ではお土産も売られていて、鞆のものだけでなく広島県のお土産が購入できる場所のようでした。
有料で荷物預かりのサービス等もあるようです。
壁にこんなものも飾られていました。
崖の上のポニョの舞台・モデルになったのが鞆の浦のため、宮崎駿監督と高畑勲監督のサインが飾られていました!
ジブリ大好きなので興奮しました♡
町を散策中に他の場所でもサインを発見!
常夜燈
鞆の浦のシンボルといえばやっぱりこれ、常夜燈!
1859年に建てられた石造りの灯台です。
現存する江戸時代の常夜燈では最大級を誇るとのこと。
石段状の雁木も特徴的。
雁木(がんぎ)とは潮の干満に関らず船着けできる階段状の構造物のことです。
全長約150mで、最大24段もの石階段が円形劇場のように続いています。
石造りとしては国内最大級の規模なんだそう。
海も綺麗で魚が見えるので、息子がなかなかその場を離れようとしませんでした(´▽`*)
歴史を感じる町並み
鞆には江戸・明治から昭和戦前までの伝統的な建造物が多く保存されています。
福山市鞆町伝統的建造物群保存地区に選定されているそうです。
こちらは桝谷清右衛門宅。
なんとこちら!坂本龍馬の隠れ部屋を見ることが出来るんです!
しかし残念ながらこの日は定休日、中を見ることは出来ませんでした。
1867年に坂本龍馬率いる海援隊の『いろは丸』と、紀州藩船の『明光丸』が瀬戸内海の六島沖で衝突。
そして鞆の浦へ曳航される途中にいろは丸が沈没してしまいます、これが『いろは丸事件』。
ちなみに龍馬と紀州藩との談判は、鞆の浦で4日間行われましたが決裂したそう。
その後、万国公法に基づいて坂本龍馬は紀州藩から多額の賠償金をとることに成功したんだそうです。
このいろは丸事件の際に坂本龍馬と海援隊士が宿泊したのが桝谷清右衛門宅なんです。
この頃龍馬は既に幕府から命を狙われていたこともあり、階段のない2階の隠し部屋に寝泊まったと伝えられています。
そんな追われる身でもちゃんと行動を起こし賠償金をとるなんて、坂本龍馬ってやっぱり凄い(゚д゚)!
ちなみにいろは丸を模して造られた平成いろは丸は仙酔島までの5分の船旅を楽しめる市営渡船です。





細い通りも坂道もどこもかしこも素敵、まるで自分がタイムスリップしたかのような気分になります。



鞆を散策していると保命酒(ほうめいしゅ)を売るお店が沢山あります。
正式名は十六味地黄保命酒、広島県福山市鞆の浦の名産品です。
焼酎、もち米、麹の3つに十三種類の生薬を漬け込むリキュールで、瀬戸内の養命酒とも呼ばれています。
起源は約350年前であり、後に江戸幕府より備後の特産品として庇護され、全国に知れわたりました。
幕末にペリーがやってきた際にも保命酒が振舞われたという記録があり、なんと明治時代にはパリで開かれた国際万博に出展もされたんだとか。
薬味を漬け込んだ健康酒であり、冷えや夏バテ予防、疲労回復効果があるとされています。
作る工程が途中まで本味醂と同じなので、味は甘め。
そのため飴やパウンドケーキなどに加工されているものまで!
現在保命酒を造っているのは福山市鞆町にある4つの保命酒屋だけ、お土産に買うのも良いかも♪
ホテルもカフェも古民家を利用している場所が沢山!
先ほどご紹介した福山市鞆の浦駐車場の目の前にあります。

江戸時代末期の建築で、古い商家の間取りが残されています。
鞆の典型的な町家として当時の暮らしを今に伝えており、市の重要文化財にも指定されています。
入場料無料なので気軽に入って見ることが出来ます。

次男は黒電話どころか、固定電話を見るのが初めて。
どこに向かって話せば良いのかすらわからなかったようです(゚Д゚;)
サザエさんとか見てないからな・・・。逆にこちらはわかるらしい。


この急な階段は今は亡き祖父母の家を思い出します。

めちゃめちゃ古い自動販売機。


沼名前神社
町を散策していると大きな鳥居を発見。
どうやら沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)の参道を歩いていたようです。
福山市鞆の浦に鎮座する沼名前神社は鞆祇園宮とも称され、地元の方は祇園さんと呼ばれているそうです。
渡守神社の大綿津見命(おおわたつみのみこと)と祇園宮の須佐之男命(すさのおのみこと)が一緒に祀られています。
平安時代につくられた「延喜式」という法令にも記載されているほど歴史ある神社です。

肥前鳥居のように反った形をしていますが、その上に鳥衾(とりぶすま)がのった鳥衾型鳥居というらしい。
鳥衾とは神社仏閣の屋根にある鬼瓦の上に配置される上方に突き出る円筒状の瓦のこと。
それが鳥居にのっているのは面白いですね~。



手水舎で清めて。

社殿へ。

社殿の写真、これ以外撮り忘れました(´Д`)
でもしっかり参拝してきました。
振り向くと海が見えます!
そしてこちらが石とうろう↓1651年に三代目福山藩主水野勝貞により寄進されたもの。
先ほどの鳥居は2代藩主がそしてこちらは3代藩主が。
長くにわたり水野家に大切にされてきたんですね。
近世初頭の社前献灯として形式・手法とも標本的なものとして貴重な石造品なんだそうです。
周りには十二支たちが・・・可愛い♡
そしてそして!
こんな所でこの人の名を目にするとは(゚д゚)!
これ何かわかります?
そう、これは沼名前神社能舞台。
豊臣秀吉が愛用し伏見城内にあった組み立て式能舞台。
初代福山藩主の水野勝成が二代将軍徳川秀忠より伏見櫓等とともに拝領し、福山城に移した伝えられており、その後3代勝貞公の時代にこちらに移され、1738年現在のような固定式になりました。
さすが!水野勝成は徳川家康の従兄弟ですもんね(*^▽^*)
中は下の隙間から覗くことが出来ました。
現在は固定されていますが、組み立て式能舞台としては日本唯一のものであり、国指定重要文化財です。
こんな凄いものがあるなら、もっと知名度があっても良い気がしますが・・・私が知らなかっただけでしょうか( ̄▽ ̄)
絶景スポット!医王寺&太子殿
「これが鞆の浦じゃあ!って景色見たいんなら医王寺へ行き!
体力に自信があるなら太子殿まで行った方がええわ。」と地元の方に教えていただき、行って見ることに。
どうやら絶景スポットらしい。
常夜燈から500mほど、平坦ならすぐの距離ですが・・・。
そうですよね、坂道を登っていきます。
既に息切れしてきました・・・途中何度かタクシーに抜かされました、羨ましい(*´Д`)ハァハァ
そんなわけで到着したのは医王寺。
826年(平安時代)弘法大師の開基と伝えられる真言宗の寺院です。
鞆で2番目に古いお寺なんですって。
こちらは御影堂、ベンチで休まれている方がいらっしゃったので下側を写していません。
そしてこちらが本堂。
この鐘楼は水野勝成公によって寄進されたもの。
既に綺麗な景色が見えておりますが、ベンチからの景色は如何に!?
うわ~まさしく絶景(*´▽`*)
鞆の浦の景色、なんて気持ちが良くて美しい景色なんでしょう!
子供の頃は鞆に来てもそれほど思うことが無かったのですが、大人になってこの景色を目にすると感動しますね。
本当に美しいですし、おそらく昔とそれほど変わらない風景。
遥か昔の人々もこの景色を見て感動したんだろうな~と考えてしまいます。
正直ここでも充分絶景。
ここから先の太子殿へ行くにはさらに石段を583段登らなくてはいけません。
足腰に不安がある方はここでも充分かと思います。
将来足が悪くなったりして「あの時見ておけば・・・」なんて後悔しないように私は行くことに!
本殿横の階段からスタート。
最初は木陰で気持ち良い♪なんて思っていたのですが、この583段、かなりきつい・・・。
それと登りきるまでは景色がほぼ見えず、少し緊張しちゃいました。
ありがたいことに石段に数字が刻まれており、この時は「まだ半分も登っていない・・・万年運動不足の私にはハードすぎる・・・」とくじけそうになりますが、道中に沢山いらっしゃるんです↓
「こんな所で諦めるのですか?あなたは後悔したくないのではなかったのですか?」と問われている気がして、頑張ることに!
そして遂に!
到着!!
そしてハイキングを頑張ったご褒美の絶景がこちら↓
確かに先ほどの医王寺からの景色よりも更に絶景!
仙酔島が見渡せますね。
なんて爽快感&達成感!!
先ほどまでの疲れが吹き飛ぶほどの気持ち良さでした(*^-^*)
この景色、長崎で塾を開き蘭学(西洋医学)の発展に貢献した医師のシーボルトも見たかもしれないそうですね。
国外への持ち出しを禁止されていた伊能忠敬の日本地図を携行していて、国外追放処分になったシーボルト事件で有名なシーボルトさんです。
オランダ商館長と一緒に江戸に行った帰り道に鞆の浦に立ち寄り、医王寺を訪れたと日記に記しているそう。
鞆の草花や昆虫を観察したんだそうですよ。
この景色はどこの国の人が見たって感動するんじゃないでしょうか?
私は登る時は本当に疲れましたが、この景色を見れるなら登る価値ありだなと感じ、下りは足が軽く感じたほどです。
ただしスニーカー必須ですね!
それと登りきっても自動販売機などあるわけありませんので、飲み物も必須です。
朝鮮通信使の復元船
この日、たまたま見られたものがあります。
それは朝鮮通信使の復元船。
常夜燈の奥に木造船が見えますでしょうか?
朝鮮王朝から日本に派遣されていた朝鮮通信使。
室町時代から江戸時代までに12回派遣され、11回も鞆に寄港しているそうです。
なんとこの度大阪万博にあわせて、復元された木造船が韓国の釜山から出発し、対馬や鞆などかつての寄港地を訪れ、大阪へ向かったそう。
確かに装飾が異国感を感じます。
こちらの船は勿論エンジンがついているそうですが、当時の人々は凄いですね。
今回は残念ながら行けていないのですが福禅寺の客殿として建てられた対潮楼は朝鮮通信使のための迎賓館として使用されていて、朝鮮通信使に「日本で一番美しい景勝地」と称賛されたそうですよ。
私もいつか行ってみたいです、「いろは丸事件」の際に坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所でもありますしね。
その他
子供達が駄菓子屋さんを発見。
ちょっとしたスペースの新しめの駄菓子屋さんなのですが、子供達は嬉しそうに選びました。
お会計は隣接するカフェで。
お洒落な袋に入れていただきました。
店前にあったこんなものでも大興奮。
これもトトロで見たことあるね☆
阿弥陀寺では猫ちゃんに出会いました。
古寺めぐりをしつつ猫ちゃんに癒されるのは最高でした。
毛利氏に滅ぼされた尼子氏の家臣『山中鹿之助』の首塚もありました。
主家の再興を願い挙兵しますが、岡山県高梁川で討たれ、毛利輝元や足利義昭に首実検にされたとのこと。
胴塚は岡山県にあるんだそうです。
確かに鞆といえば足利義昭が織田信長に京を追われ、毛利氏に守ってもらっていた場所ですもんね。
感想
鞆の浦、情緒あふれる素敵な場所でした。
以前倉敷美観地区の記事で観光地化されて楽しい一方、情緒が無くなってしまったと感じた人がいたと書きましたが、鞆の浦は観光地化されすぎておらず、昔のままの港町の姿を残しています。
それは地元の人や福山市にとって良いことなのかはわかりませんし、観光地化出来ていないという課題なのかもしれません。
でもこのままの姿を残してこそ、「歴史上の誰誰もこの景色を見たのかな~」等と歴史に思いを馳せることが出来る場所な気がします。
あ~でもこんな素敵な場所があるんだともっと多くの方に知って欲しい気もします!!
とにかく素敵な場所でした。
静かな場所・景色に癒されたい方、歴史に触れたい方、ぜひぜひ鞆の浦へ行ってみてくださいね(*^-^*)
※情報変更の可能性があります。事前に公式HP等でご確認ください。